2021-03-31 第204回国会 参議院 本会議 第12号
その後、長崎県知事を務められた後、平成二十二年に参議院議員に当選され、この度、国会議員として在職二十五年を迎えられました。 この間、金子先生は、建設政務次官、衆議院においては、石炭対策特別委員長、法務委員長を、本院においては、決算委員長、情報監視審査会会長、資源エネルギーに関する調査会長、予算委員長等を歴任され、現在も政治倫理審査会会長の重責を果たされております。
その後、長崎県知事を務められた後、平成二十二年に参議院議員に当選され、この度、国会議員として在職二十五年を迎えられました。 この間、金子先生は、建設政務次官、衆議院においては、石炭対策特別委員長、法務委員長を、本院においては、決算委員長、情報監視審査会会長、資源エネルギーに関する調査会長、予算委員長等を歴任され、現在も政治倫理審査会会長の重責を果たされております。
五期目の途中で、当時の長崎県知事が引退表明したのに伴い、ふるさと長崎県を良くしたいという一心で知事選への立候補を決意しました。 先輩議員や同僚議員から、五期もやったのにもったいないという声を多くいただきましたが、ふるさとへの思いの方が勝り、激しい選挙戦を繰り広げた結果、当選しました。 長崎県知事としては、特に行政の効率化に力を入れました。
三菱重工業株式会社長崎造船所に停泊中のクルーズ船コスタ・アトランチカにおけます新型コロナウイルス感染者の発生につきまして、長崎県のみでは対応が困難であるということから、先月二十二日に長崎県知事からの災害派遣要請を受けまして、自衛隊につきましては、翌二十三日以降、PCR検査に必要な検体採取の支援、また乗組員に対する医療支援を実施してきたところでございます。
今月三日に長崎県知事からの災害派遣要請を受けて新型コロナウイルス感染症の陽性患者を緊急搬送した際は、UH60J救難ヘリコプターにより海上自衛隊第二二航空群、大村基地に所在している部隊でございますけれども、これが対応いたしたところでございます。 他方、これまでのところ、PCR検体の輸送に係る災害派遣の要請はいただいていないというところでございます。 以上でございます。
金子委員長、衆議院五期、参議院二期、長崎県知事三期と、超ベテラン政治家であるあなたの識見とバランス感覚、そしてリーダーシップに私たちは期待をしていました。しかしながら、今回の予算委員会開会要求に対する対応は誠に残念極まりなく、あなたは行政府をチェックする重要な舞台である予算委員会の長としては余りに不適格と断ぜざるを得ません。
長崎県知事としての活躍も三期十二年にわたり、故郷のために御尽力されました。そして、知事としての実績を重ねた上で、大都市への一極集中がやまない中、ふるさとの視点で国を変えるとの強い思いで参議院議員選挙に出馬され、当選されました。参議院議員になられてからは、決算重視の院である参議院において決算委員長を務められるなど、その御功績に疑いの余地はありません。
ことし初めに佐賀県知事と長崎県知事の会談が初めてこの件で行われまして、国として開発を進めたフリーゲージトレインの実用化が三年間にわたりおくれ、うまくいかなかったことが今の状況になっているということについては認識をしていただいて、しっかりと国として今後の方針を示していただきたいということが、佐賀県、長崎県の間で、意見交換の中で共通意識として確認をされました。
大臣にお聞きしますけれども、公共性が大前提になるこうした事業、だからこそ、起業者は十分な説明や丁寧な話し合いで同意を得る努力をすることが大事だと思うんですけれども、長崎県知事や佐世保市長は十分な説明や話し合いの努力をしてきたと思われますか。
前に質問させていただいたときも述べたことでありますけれども、きょうのテレビの報道によっても御存じのとおり、国は、あけることも閉めることもならぬというふうな司法の決定を受けていますから、あけることを前提にとか閉めることを前提にとかというふうな話し合いの場というのは持てるわけもないし、長崎県知事も、積極的に国、関係機関との協議ということに取り組んでしかるべきと私は考えておりますし、個人的には、県に対して
その後、午後には、大臣室に今度は長崎県知事がお越しになられまして、私は担当副大臣ですから同席したわけでありますが、こちらは、今さら民主党さんの政権時の判断についてどうこう言っても仕方ありませんからもう言いませんけれども、こういう判決が出た、これをもって、今時差のお話もされました、この時差に新たな事象が生まれて、こういう判決、司法判断がなされたんだから、こっちの方が優位性はあるんだ、異議申し立てなんかは
長崎県知事賞をもらった焼きもちを焼いたグループが私をのけものにして、一年間一言もしゃべってくれなかったんです。そういうことを頭に描きながら、つらかったろうな、あのときに私も誰かが来て助けてくれたら本当に助かったよなと思って、我が事に振り返らされて胸をつかれたんですよ。何としてもいじめは防ぎたい、避けたい、そして死ぬことだけは絶対に止めたい、そういう一心で述べたんです。
さきに、大臣初め副大臣、政務官、政務三役の皆様方は、雨降りしきる諫早の地においでいただき、長崎県知事及び地元関係の皆さんが再び提出をさせていただきましたアセス準備書に対する意見に対して回答をなさるということで、十一月四日に長崎を御訪問されました。
御高承のように、平成二十年四月から営農開始した諫早湾干拓農地の総面積は六百七十二ヘクタール、その五%に当たる三十二ヘクタールは、何と東京ドーム七個分の広さと言われており、この広さの農地の中に時の長崎県知事及び主管庁の時の農林水産大臣政務官、それぞれ職務権限を持つ二人の政治家の親族企業が入植しているのであります。
どうも私の推測するところ、上告をしてくださいということで、私ども、長崎県知事、県議会、地元の関係者の皆さん、また本県選出の国会議員、ことごとく打ちそろって総理官邸にお邪魔をいたしたあの日のことを忘れません。
先生は、昭和十一年二月十二日、衆議院議員で後に長崎県知事を務められた父竹次郎氏と、参議院議員を務められた母ハル氏の御長男としてお生まれになりました。二週間後が、あの二・二六事件であります。 少年時代にふるさと長崎市に原子爆弾が投下される瞬間を目撃しておられます。御尊父が長崎と広島の両地で被爆されました。愛する郷土長崎の惨状は、先生にどれほどの衝撃を与えたことでしょう。
そうしたら、有り難いことに、金子原二郎議員も長崎県知事しておられましたけれども、全国知事会はこの郵政改革法案賛成だと、しっかりやれと逆に激励をいただいたわけでございまして、大変、寺田先生も全国知事会の副会長をしておられたわけでございますから、是非いろんな知恵を絞っていただきたいというふうにお願いをしたい次第でございます。
○菅内閣総理大臣 まず、決断の時点のことはありますけれども、最終的に、上告期限の直前に長崎県知事初め県の皆さんが来られまして、私、直接お会いをしました。そして、知事や関係市の市長さん初め県会議員の皆さんからも御意見を聞きました。
それから、長崎県知事、これは保守の方が当選されましたけれども、私たち社民党のところに来て、大村空港にはぜひ持ってこないでくれと。片や、安保条約は必要だ、米軍駐留は必要だ、しかし、自分のところにはだめだ。長崎はだめだけれども、佐賀ならいいとか、沖縄ならいいとか、そういうことではやはり困るんですね。
これにつきましては、今、アセスメントももうスタートいたしましたので、こういう中で、アセスを具体的に進める上で、何を目的としてどういうことを重点に置いたアセスをやっていくかということの意味でも、やはり方向性だけはきちっと示した方がいいということで、郡司副大臣にはそれを今座長としてお任せしておりますが、精力的に週に何回か、長崎県知事に来ていただいたり、あるいは佐賀県知事に来ていただいたり、それぞれの該当
国は、平成十四年に、佐賀県知事らが立ち会い、長崎県知事が苦渋の決断をし、農林水産大臣、三県漁連会長と、早く防災機能が発揮できるよう、平成十八年の諫干事業の完成を守ることを条件に短期開門調査を受け入れました。平成十五年には、専門家による中・長期開門調査検討会議の結果を受け、平成十六年に、亀井農林水産大臣が開門調査はしないと発表しています。
見事だと思うのは、長崎県知事選でおたくの党の幹部がこういうことを言いました。長崎県民が民主党推薦の候補を負けさせるようなことがあれば、党としてそれなりの対応をすると思う、それが政治だ、こうおっしゃった。今回そのとおりになっているんですよ。四車線化について検討をしていた六区間のうち、やらないところというのは、長崎県と二階先生の地元ですよ。
やはり、これは国家公務員と一緒で、先般も大臣があるいは政務官の皆様が、たしかあれは長崎県知事の選挙に行かれたときもあります。議員としての政務と国家公務員としての公務を分けてしっかりなさっているんですよ。この方々も報酬はゼロにしますし、しかも政務と公務はしっかり分けて行っていただいている。大臣以下副大臣、政務官の方々がそういうことで、自分の一人の人格を切り分けて対応しておられるわけですから。
今回の長崎県知事選挙で当選した中村知事の対立候補橋本氏、私も何度か話をしたことがありますけれども、農水省職員らしい、非常にまじめで、いい人物であるというふうに評価をいたしております。
答弁書におきまして、橋本氏が農水省を退職した昨年の十一月十六日から長崎県知事選挙投票日前日のことし二月二十日までに長崎県に出張した畜産部と水産庁の職員は、延べ百三十七人でありました。畜産部は、橋本氏が退職直前まで勤務していた部署。町田水産庁長官も以前畜産部長を務めておいでになりました。この二つの部署だけで三カ月で百三十七人もの職員が長崎県に行ったことになります。